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無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと
、智慧の光に照らされていない状態をいう。
法性(ほっしょう)に対する言葉である。
仏教では十二因縁の根源に無明をおく。
すべての苦は、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、
智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。
我というものが存在するという見解(我見)が無明である。
無常であるものを常住と見るが、それが失われると苦しみを生じる。
すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く。
この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として四諦、
八正道であると説かれている。
この四諦、八正道を知らないことも無明である。
たとえば、闇(やみ)について、多くの人は「闇は存在する」と漠然と考えている。
しかし、闇に光が当たると、闇はたちまち消えうせる。
闇がどこか別のところに移動したわけではない。
つまり、闇は始めから存在しなかったということである
闇は「光の欠如」ということであって
、闇と呼ばれる「なにか」が存在するわけではない。
精神的な「苦しみ」についても、同じようにとらえることができる。
智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す。
苦しみが、何か実体を伴って存在しているわけではない。
実際には無いものを有ると考えるのは無明である。
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