SEINARU ENERGY


仏陀の因縁解脱  そして 煩悩

仏陀の説いた仏教ですが


人の迷い、煩悩のうち一番目にあげられているのが

無明 であるとされています。

無明

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

無明(むみょう、avidya)とは、仏教用語で、迷いのこと。また真理に暗いこと、
智慧の光に照らされていない状態をいう。法性(ほっしょう)に対する言葉である。

仏教では十二因縁の根源に無明をおく。すべてのは、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し、智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く。というものが存在するという見解(我見)が無明である。無常であるものを常住と見るが、それが失われると苦しみを生じる。すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く。この苦しみを消滅する方法は、初期経典には定型文句として四諦八正道であると説かれている。この四諦、八正道を知らないことも無明である。

仏陀はこのように説き、その無明を消滅するに




四諦と八正道だとといています。


四諦(したい) 
苦という人生の本質、苦の原因、原因の消滅、苦の原因を取り除く方法

苦諦(くたい)

苦に関する真理。人生とは本質的に苦であると説いています。
苦という人生の本質、苦の原因、原因の消滅、苦の原因を取り除く方法
集諦(じったい)
原因に関する真理。人生が苦である事の原因を明らかにしている
 
滅諦(めったい)
原因の消滅に関する真理。苦の原因である煩悩(ぼんのう)の消滅が苦の消滅です。

本当に人生とは本質的に苦 なのでしょうか。


煩悩を消せばそれは苦ではないのでしょうか。


そして本当に煩悩は消し去ることはできるのでしょうか。


それは本当に幸せといえる状態なのでしょうか。



宇宙の三相構造の中で


聖なるエネルギー

SEINARU ENERGY



を見つけて、


このことを考えてみると、本当にそうなんだろうかと思います。



煩悩は消してもいいののだろうか。



私の答えは NO です。



それは消したら、



人としての何かが欠落するのではないかと思うのです。


それが具体的に何かはわかりません。



聖なるエネルギーと、メモリー(情報)で



情報としての煩悩的なものは消せるはずです。



でもそれはしてはならないことと判断しました。



無明とは、エネルギーの不足が原因ならば



無明を十二分に


補うエネルギーで、そのエネルギーで智慧を獲得する。



エネルギーが智慧そのものではなく、



その智慧は人が努力して獲得するものではないかと思います。



聖なるエネルギーがそのバックアップをするはずです。


不可侵の領域ならば別ですが


仏教はひとつの教えですから


このように考えてもよいのではないでしょうか。



仏陀以来2.500年が経過し、その教えをかたくなに守り


研究していくことも大事だと思います。


仏陀の説いた四諦から始まる教えは否定できません。


その教えを元に、同じ目的のために



聖なるエネルギーは使えるかもしれないのです。



そうとするならば


2500年のときを超えて


仏陀の再誕 ?





超仏陀の誕生にも等しいことかもしれません。